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どうもこんにちは!Zinnia Statice(ジニアスターチス)のウラタテツです!

Twitter:@zinnia_tetsu

こんなページに辿り着くとか、あなたなかなかレアですよ!!(笑)

見に来てくれて、本当に嬉しいです!だから自己紹介します!しばし付き合ってね!

せっかくなので、Zinnia Staticeの音源をBGM代わりにでもして、このページを読んでください!

未完成のメロディ

空が奏でる響き

自己紹介

ウラタテツ

兵庫県出身

本名・浦田哲広

2001年に高校入学。この頃に、バンドマンとしてのキャリアをスタート。

高校卒業後、通信制の大学に進学。

大学時代より、多くのバンドを転々とする。

2016年9月、自身がリーダーを務めるバンド、Zinnia Statice(ジニアスターチス)を結成。

ボーカル、サイドギター、メインソングライターを担当。

楽曲のほとんどは、ウラタテツの手によるもの。

「ハードなギターリフ、懐かしさを感じさせるキャッチーなフレーズ、エモーショナルな歌が冴え渡る、繊細かつ激情的な世界を表現しているバンド。」

との評価を得ている。

バンド以外にもシンガーソングライターとしても活動中。

長年培ってきたDTMの知識を活かし、レコーディングエンジニアやDTM講師を兼任。

また、外部アーティストへの楽曲提供を行うなど、その活動は多岐に渡る。

家族構成

至って普通な家庭に生まれ育つ。

兄と妹の三人兄弟。

写真は、5歳くらいの時の僕だと思います。

隣が、年子の妹です。

ニックネームは

・ウラちゃん

・てっちゃん

・ウラタくん

・テツくんなど。

趣味は筋トレ。

好きな食べ物と飲み物

好きな食べ物は

焼肉/ラーメン/サラダ/煮物

好きな飲み物は

水/お茶/レモンサワー/ハイボール/ビール

でも、お酒はあまり強くないです(笑)

愛するバンド・歌手

B’z / ZIGGY / LiSA / Aqua Timez / Hysteric Blue

驚くほどにジャンルバラバラwww

後は、70年代の洋楽ロックとポップスが大好物!

音楽を始めたキッカケ

音楽の世界に引き込まれたのは、中学一年生の頃です。

兄の部屋から漏れてきた、B’zを聴いた事がキッカケでした。

初めて買ったCDは、B’zの金色のベスト盤です。母親からもらったお小遣いで買いました。

そのCDの6曲目に収録されている「裸足の女神」という曲に大きな感動を覚え、描かれる世界に酔倒しました。

お小遣いをもらうたびに、レコード店やレンタルショップに足を運びました。

B’zを始め、当時流行っていたバンドは片っ端から買ったり借りたりして、一日中聴いていました。

やがて、「自分もバンドをやってみたい!」という願望が芽生え始め、高校入学と同時に、軽音楽部に入部。

念願だったバンドを軽音楽部で結成することが出来ました。

高校生時代でのバンドの困難

高校入学と同時に軽音楽部に入部し、バンドを始めました。

希望パートは、もちろんボーカル!

「憧れのB’zの稲葉さんみたいになりたい!」なんて思ってたなあ(笑)

でも、稲葉さんの歌声ってものすごく高いし、演奏も高難易度!

高校生の僕たちにコピーは出来ませんでした。

当時は主に hide / GLAY / LUNA SEA  なんかの曲をよく演奏していました。

しかし!!ここでとんでもない事が発覚!

当時の僕はものすごく音痴でした!!(涙)

しかもリズム感など皆無!

あまりの音楽センスの無さに、メンバーに毎日怒られていました。

どう贔屓目に聴いてみても、歌はおろか、音楽をやるのに向いてる人間ではない。

憧ればかりが先走ってるだけの、死ぬほどセンスのない人でしたねえ。

2学期に入る頃には、「もうやめたい!」と思っていました(笑)

そんな気持ちで迎えた初ライブ当日。それは、学校の文化祭ライブ。

出来は最悪もいいとこでした(笑)

声は裏返る、MCカミカミで、見てらんなかったと思います。

初ライブながらも、お客さんがシラけていることにも、気づいていました。

当時の映像が、メンバーの自宅に残ってるかと思いますが…絶対に見たくないです(笑)

それでも、高校3年間、やめることなく、部活をやり通しました。

途中で同期部員の退部などもあり大変だったけど、顧問の先生にサポートしてもらいながら、バンド活動を最後までやり通しました。

あの時の俺、めっちゃ頑張った!!(笑)

大学へ進学

高校卒業後は大学へ進学。通信制の大学だったこともあり、軽音サークルなどはありませんでした。

なので、楽器店やネットの掲示板でバンドメンバーを募り、バンドを結成しました。

この時と同時に、「コピーではなくオリジナルがしたい!」との思いが強くなり、ギターを購入!

ギターのコードの練習をしながら、作詞・作曲を独学で始めてみたのです。

こうして作詞・作曲家のキャリアがスタートしました。

2度目の困難

大学生時代のハタチの頃にバンドを結成。

メインソングライターとして、オリジナル曲を僕一人で全て制作。

当時はDTMに手を出していなかったので、MDに弾き語りしているところを録音し、それをメンバーに渡していました。

その曲をメンバーとスタジオでアレンジしながら制作。これと同時に、ライブ活動も行いました。

一見、順調そうに見えますが、この時の僕にはある問題を抱えていました。

当時の僕は通信制の大学生。

4年制の大学とは違い、通信制大学は学校に通う必要がほとんどなく、自宅学習が中心。

そのため、他の学生と比べて時間がありました。

このことがあり、先輩や両親から「昼は働いて、夜に勉強やバンド活動をすればいいんじゃないか?」との勧めがあり、僕は就職をしたのです。

こうして僕は、働きながら学業とバンド活動の「二足のわらじ」ではなく、「三足のわらじ」を履いた生活をスタートさせました。

お給料は、学費とバンドの活動に当てていました。

しかし、当時勤めていた会社は、絵に描いたようなブラック企業だったのです。

上司からは「お前はこうだからダメなんだ!」と、毎日罵倒されていました。

当時、仕事がまるで出来ていなかったのも原因ではありますが…。

退社する時間も23時を過ぎるのが当たり前で、残業代も出ませんでした。

学業に手をつけれなくなり、大学は留年が決定。

心身ともに衰弱しきってしまい、仕事中に前触れもなく涙が流れてきたり、トイレで吐くようになっていました。

当然、バンドのことを考える余裕は、ありませんでした。

それでも、忙しいながら駆けつけたスタジオでのバンドの練習は、全く身に入らない。

そんな日々が続いていた状態で出演した、とあるライブの日。

ドラムが4カウントを刻み、ギターやベースのリフが流れ、そして僕が歌い始めた瞬間。

僕はステージの上で、

「もうダメだ、バンドなんて出来ない…。」

とてつもない虚無感が僕を襲い、音楽への憧れや情熱が完全に消え失せていることに気づきました。

ライブを終えた数日後、メンバーとのミーティングの席で、バンド脱退の旨を伝えました。

そのバンドは、僕が脱退したことにより自然消滅。そのまま解散ということになりました。

バンドを脱退しても、会社での現実は変わらない。

相変わらず上司からは罵倒され、先輩からは冷たい視線を送られる。

帰宅する頃には、日付が変わっていることも、珍しくありませんでした。

うつ病の宣告

それは、2月の月曜日の寒い朝のことでした。

関西では珍しく、雪が降っていたのを良く覚えています。

午前7時30分ごろに目が覚めたのですが、体が異常なほどに重くなってることに、すぐに気がつきました。

今思い返しても、あんなに体が動かなくなったことは、過去を思い返してもありません。

なかなか自室から出てこない僕を心配した母親が、部屋にやってきました。

「今日は会社を休んで、病院に行こう」とだけ、僕に告げました。

更に僕の状態を聞きつけて、叔母が自宅にやってきたのです。

僕は、母と叔母に連れられて心療内科の病院へ行ったのです。

まさか、成人してから母や叔母に連れられて病院へ行く日が来るなんて…。

とてつもなく情けない気持ちになりました。母親に連れられて病院に行くなんて俺はガキかよ…。

診察を終え、医師からは「うつ病を発症しています。今すぐ会社を休職してください」との診断。

それを医者の口から聞いた時、自分の中で何かが崩れ落ちていくような、感覚がありました。

その日を境に会社を休職。大学も休学の手続きを取りました。

食欲もわかず、自宅では寝てるかトイレに行くかだけの日々。

ゲッソリとやせ細ってしまい、時には、浴びるようにお酒を飲むこともありました。

自殺しようとしたことも何度もあり、自宅から遠く離れた歩道橋へ赴き、飛び降りかけたこともありました。

会社の上司から、人格を破壊するかのような罵倒を浴びせられていました。

そのためか、自己否定が異常なほどに強くなっていました。

「自分なんか社会のお荷物なんだ」「生きているだけで迷惑なんだ、死んだほうがいい」

あの時の自分は、何をどうやってもポジティブなんかになれませんでした。

友人の存在

それは療養生活を送っている、ある日の夜のことでした。

自室でボンヤリしている時に母親から、「友達来てるよ」と。

「誰やねん」と思いながら、玄関へ足を運びました。

そこには、大学の友達が立っていました。

友達「久しぶり、元気?」

僕「元気なわけないやろ」

友達「うん、顔見たら元気なさそうなの一発でわかった」

なんやねんこいつは…なんて思っていたら

「ご飯行こうや!」と誘われました。

自宅から外に出るのが怖かったですが、しぶしぶその誘いに承諾し、近くのお好み焼き屋へ行きました。

「正直食欲ないねんけどなあ。食べれそうになかったらこいつに食べてもらお」

なんて思いながら、お好み焼きを注文。

焼きあがったお好み焼きを一口食べた時…

なぜか涙がボロボロと、溢れてきたのです。

僕「急に泣いてごめん…」

友達「気にすんなって、俺はウラちゃんが元気やったらそれでいいから」

かけがえのない友人の存在が、暖かく感じた瞬間でした。

心に染み渡るってことは、きっとあの時のことを言うのだと思います。

この日を境に通院しながらではありますが、生活を立て直すために、動き出しました。

音楽への情熱

それから2ヶ月後。僕は会社へ足を運び、退職届を提出しました。

自分の病状のこともあり、過去と同じように働くのは難しかったので、週3日のアルバイトを始めました。

うつ病の症状も、少しずつ和らいできた実感もありました。

そんなある日、アルバイトを終え、帰宅した時のことです。

自室を整理しているときに、部屋の片隅に置かれていた、B’zのライブDVDが目に入りました。

「そーいや、これ昔買ったやつだなあ」

なんて思って、なんとなくDVDデッキに入れて再生してみました。

画面に映し出される映像は、スタジアムで激しい演奏をするB’zの姿がありました。

スタジアムを満員で埋める、パワフルでエモーショナルなライブ。

人間とは思えない、稲葉さんのシャウト。

複雑でヘヴィなギターリフを刻む松本さん。

その映像を見たとき、僕の中で心が熱くなっていることに気がつきました。

「あの時と同じ感覚だ…」

それは、中学一年生の頃に、初めてB’zの音楽に触れたあの人同じ感覚。

完全に忘れきっていた、音楽への想いがまた蘇ってきたのです。

音楽をまた始めるために

この時をキッカケに、「またバンドやりたいな」と、思うようになりました。

でも、今の自分は闘病中。大学も休学してる。

この自分の状態をなんとかしないと、バンドなんて出来ない!

そう思ってから、話は早く進んでいったのだと思います。

今の自分が何を優先するべきか?

それは2つありました。

・病気を治すこと。

・大学を卒業すること。

それから通院の日に、主治医と相談しながら、大学へ復学。

アルバイトをしながら、大学の勉強を進めました。

この時期がとにかく過酷だったなあ(笑)

お世辞にも成績が良い方ではなく、勉強の仕方がわからず、友達にめっちゃ教えてもらいました。

ありがとう、友よ!!(笑)

毎日のように地元の図書館へ通い、論文を書いてました。

この時はとにかく、大学の勉強しかしてませんでした。

ある時は、玄関で靴紐を結ぶ動作の時点で、「行きたくない…」なんて思ったりもしてました。

でも、またバンドがしたい!そう思ったからなのか、根性で通い続けました。

気がついたら、病気の症状も和らいでいました。

正直なところ、学びたいことがあるからとか、就職のこととか、何も目標がないまま大学に進学しました。

だから、大学を辞めるっていう選択肢もありました。でも、それは選択しませんでした。

なぜなら、大学を辞めようかと兄に相談したところ

「目の前のことをちゃんと出来てないやつが、バンドをちゃんとできるわけがない。大学はキッチリと卒業しろ」

と、正論をブチかまされたからです(笑)

こんなこと言われたら、返す言葉なんてありません。

大学を卒業してケジメをつける。

卒業したら、今度は遊びじゃなくて、本気でバンドをやるんだ。

ただただ、その思いだけで、勉強を進めました。

月に一度ある試験も、一つずつクリアし、単位を取得。

直接授業を受ける日もあり、時間を作り学校へ通う。

今までの人生で目標に向かい、何かを頑張るってことをしたことがなかったから、すごく新鮮でした。

「これって多分、頑張ってるってことなのかな?」って思ったり。

あの時のことは、今でも忘れられません。

初めて自分の人生をかけて、何かを頑張っているんだから。

そして、卒業をするために必要な単位取得をかけた試験当日。

死ぬほど緊張しました。それは、ライブ本番前のとは、また違う緊張感でした。

もし、この試験を落とすことになったら、僕はまた留年する…。

正に2つに1つの試験でした。

そして、試験が終了した1ヶ月後。

試験の合否結果のハガキが、自宅に届きました。

手が震えていたのを、今でも鮮明に覚えています。

恐る恐るハガキの中身を確認したところ、

そこには「B判定 合格」の文字がありました。

涙が溢れ出てきました。

それは、ブラック企業で上司から罵倒されて泣いていた、あの頃の涙とは違うものでした。

心の底から喜んで、流した涙でした。

僕はこれまで何の目標も無く、人に言われるだけの人生を過ごしてきました。

そんな自分でも頑張れば結果を出せるんだって、心の底から確信を掴んだ瞬間でした。

Zinnia Staticeの結成

大学卒業後は、仕事をしながらDROP HIPというバンドに、ボーカルとして加入しました。

DTMに手を出したのは、ちょうどこの頃です。

当時の自分は、ガムシャラに曲を作り、ライブ活動をこなすだけ。

どうにも上手くいかなくて、悩んでましたね(笑)

具体的には、当時のメンバーとのモチベーションの差が激しかったことが原因でした。

やはり、バンドというものは難しいものなんですよね。

音楽性というものではなく、バンドをやる上で、どうしていきたいか?

ここの足並みが揃っていないと、バンド活動は上手くいかないものなのです。

「このバンドでは、自分のしたいことができない気がする…」

そうやって悩んでいました。

ある日のライブを終えた時、あまりのモチベーションの差がステージで露呈したような気分になり、バンドリーダーに電話したのも良く覚えています。

後日、ミーティングを取ってもらいました。

悩みに悩んだ末、3年間在籍したDROP HIPを脱退したいと伝えました。

当時のメンバーからは、快く送り出せてもらいました。

脱退ライブという形を持って、清々しい気持ちでバンドを後にしました。

写真は、その脱退ライブの様子のものです。

そしてこの日、僕と同じくしてバンドを脱退したメンバーがいました。

その人はドラマーのYossi-。

Zinnia Staticeのドラマー、Yossi-

Twitter:@ysi_dr_to_fish

彼も僕と同じように、モチベーションの差で悩んでいたのです。

僕たちはバンド脱退後、2016年9月にZinnia Staticeを結成。


ただ、バンド活動を共に長く続けていく上で、僕との意識の差が顕著に現れてきました。

話し合った結果、「俺たち2人で出来ることはもうない」、という結論に至りました。

Yossi-はその後、2022年5月末にて、約6年間の在籍に終止符を打つこととなりました。

Zinnia Staticeは現在でも、ライブ活動やレコーディングを行うなど、精力的に活動中です。

Zinnia Statice レコ発ライブ・寺田町Fireloopにて撮影

この写真は、Zinnia Staticeで行った、レコ発ライブの様子です。

沢山のお客様に囲まれながらのライブ。ずっと夢見てきてたことが叶った1日でした。

そして!2018年には、なんと夏フェスの出演をかけたオーディションの一次選考を通過した実績もできました!

その時のライブ映像の様子はこちら!

Zinnia Statice LIVE – 未完成のメロディ

この日は、残念ながら選考通過には至りませんでした。

しかし、自分の音楽人生で、「普通にバンドやってるだけでは上がれないステージ」に上がることができただけでも、本当に嬉しかったです。

余談ですが、この日の日付は8月4日。

真夏だというのに、厚着をしてステージに立ちました。

「ロックバンドなんやから、暑さなんか気にしたらあかん!」

とか言って、こんな格好をしたのです。

その結果、ライブ中に何度か倒れかけました(笑)

2020年4月、DTM講師を志す

僕は、Zinnia Staticeというバンドを続ける中で、沢山の方達と出会わせていただきました。

新たな価値観に触れていき、「自分にできることをもっと発信したい!」との思いが強くなりました。

これまでの僕は、音楽とは関係のない仕事をしながら、バンドをしてきました。

この仕事の部分をなんとか音楽にできないものか?と考え、僕はDTM講師を志すようになり、このサイトを立ち上げました。

DTM講師を仕事とし、その上でバンドをやる!

僕からしたら、夢のような生活が始まるわけです。

生活のほとんどを、音楽にすることができるから!

正直なところ、サイト運営なんてできる自信なんてありませんでした。

それでも、やるしかなかった。

好きなことで生きていくためには、好きじゃないこともやらないといけないんです。

大学生の時、バンドをやるために、好きでもない勉強をして卒業を勝ち取ったあの時のように。

その感覚を知っているから、自信はなくとも、サイトを立ち上げることに迷いはありませんでした。

このサイトを通じて、自分の知識を惜しみなく発信し、いつかあなたにも出会えたらいいなあって思いながら頑張っています。

そして、Zinnia Staticeのことを好きになってもらえたら、ものすごく喜びます!笑

長文の自己紹介に付き合ってくれて、本当にありがとうございます!

どうか、よろしくお願いしますね!